
田坂 翔太
“たべること”の正解はどこにある?
‐たべるたび、考えるたび、少しずつズレていく“自分のたべる”‐
幼少期, 共働きの両親のもとで育ち, 主に祖父母が食事を準備する環境にありました. 祖父母に甘
やかされて育ったこの家庭環境の中で, 特定の食品への依存や偏食傾向が自然と形成されていった
ように思います.
小学校入学前後には, 給食を拒否することも多く, 食事に対する関心が希薄な時期が続きました.
お腹がすいていても, 出されたものを前にして箸が進まない――そんな経験が日常の一部となって
いました.
成長の過程で, 友人との食事の楽しさや, 料理を作る喜びを知るようになり, 食に対する意識は
徐々に変化していきました. 一方で, 食事のペースの不一致や味覚の相違による違和感も少なから
ず経験してきました. こうした体験を通じて, 「たべること=楽しい」という等式が, 必ずしもすべ
ての人に当てはまるわけではないと感じるようになりました.
作業療法士として, 肢体不自由児の食事場面に立ち会う中で, この疑問はさらに深まりました. 子
どもたちは「たべること」をどのように捉えているのでしょうか. そして, 作業療法士である私たち
は, その体験にどのような影響を与えているのでしょうか. この問いは, 今も私の中に残り続けてい
ます.
2012 年の「実践!発達OT ミーティング」のケース検討会では, 100 名以上の作業療法士にこの
疑問を投げかけました. その中で, 作業療法士一人ひとりの体験や価値観が, 「たべること」への関
わり方に大きく影響していることを改めて実感しました. 支援者の意識や関わり方によって, 子ど
もたちの「たべること」に対する捉え方も変わっていく可能性があるのだと感じました.
たべることには, 機能的・発達的・習慣的・環境的要素が複雑に関連しています (小西・小松, 2018 ).
食事は単なる栄養摂取の場ではなく, 心理的・社会的な意味を含んだ複合的な営みです. 食事の楽し
さや主体性に影響する要素は何か, 子どもがどのような状態のときに食事を楽しめるのか, そして
私たちはどのように関わることで, その場の質を高めることができるのか――そうしたことを問い
続けています.
たべることには多くの要素が絡み合い, 一人ひとり異なるかたちで形成されていきます. 私はそ
の多様な構成要素の一つとして, 子どもたちにとって"たべること"が, 自分らしくいられる時間であ
ってほしいと願っています. 今回の集会でも、作業療法士一人ひとりの体験や価値観を味わい、人が
人とそんな場をつくる一助となったら, と思っています.
たべるを考えるサークル 田坂 翔太 (埼玉県立大学)
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